困った坊っちゃん

 平成八年(一九九六)一月。彼の出演するビデオのため、私が以前から知っていたSM嬢のM子ちゃんを紹介してやった。そして彼は、監督はじめスタッフ一行と栃木の山の中へ数日間の撮影に行った。
 彼は、セーラー服姿にミニスカートで、M子ちゃんにオシッコをかけられるという役だ(いくら生活に困っても、どうして仕事を選ばないのか)。
 ところが彼は現地で、寒いの疲れたのと言い、一人でストライキを起こしてしまい、仕事にならなかったと後でM子ちゃんが怒っていた。確かに、撮影というのは全員が力を合わせなければ完成しないし、辛いのは全員同じなのだ。
 それでM子ちゃんは、現場で意見したと言う。しかし、彼女の言うことは正しいのに、彼はそれを逆怨みしてしまったのだった。
 二月十六日。渋谷で彼と、唐沢、根本氏のトークショーが行なわれ、そのアトラクションで、あるSMの女王様が彼を縛り、ズボンを脱がせ、空手の技でボコボコにするという過激なショーが行なわれた(この時、彼は脱がされる気はなかったらしく、モモヒキを二枚もはいていて、それを見られて脱がされて、かなり恥ずかしい思いをした)。
 彼は、演技のつもりで行なったが、女王様が本気で殴る蹴るをしたため彼もキレて逆上し、さらにこっぴどくやっつけられるという、実に悲惨な見世物となってしまった。
 ところが彼は、これをM子ちゃんの差し金だと勝手に邪推したのである。M子ちゃんが、SM嬢の横の繋がりで、彼女に彼を本気で痛めつけろと言ったに違いない、と思い込んでしまった。
 実際、SM界というのはそんなに横の繋がりなどない。事実、M子ちゃんは、その女王様を知らなかった。
 なのに彼は、自分が痛めつけられたのはM子ちゃんの仕業だとばかりに彼女に脅迫電話の数々を行なった。殺してやるだの、百万円寄越せだの、特に明け方の電話に、彼女はノイローゼ気味になって、困って私に電話してきたほどだった。
 まあ、彼は金もないから、弁護士に言いつけるといえば収まるよと言い、実際、それで何とか脅迫電話はやめたようだった。
 その時は、私が紹介したM子ちゃんが精神的に傷つけられて、彼に非常に激しい憤りを感じたものだった。

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