ガーデンパーティ開始

 平成四年(一九九二)三月二十六日。フランスの国営放送が、私の家に取材にやってきた。
どうも、あの時の犯罪者は今、というような番組らしく、彼の親友として私が選ばれたのだった。
 日本語のできる通訳が来て、フランス人のレポーターの様々な質問を受けた。
「彼は、何故ああした犯罪を犯したのだと思いますか?」
「カニバリズムを語り合える友人がいなかったからだと思います。先に私と出会って、いろんな話をしていれば、現実に行動しなくても気が紛れた筈だからです」
 そんなことを、かなり長いこと喋った。スタッフ一行も実に紳士的で、私も誠意をもって話したつもりである。しかし実際に放映された内容は、
「Sのベストフレンドであるムツキは、拳銃とカタナの好きなキチガイだった」
という非常に悪意に満ちたものだった。まあ、部屋には多くの日本刀とモデルガン、憲兵姿の私の額入り写真などがあったからだろう。これだから毛唐は信用できん。
 この年、五月より彼のマンションの前にある公園でパーティが行なわれ、これは毎年五月の恒例になった。
 私は少し遅れて行ったのだが、何と、草の上にコンロや薪が放置され、その周囲を十数人の男女が囲んで眺めていた。普通、これだけ集まればアウトドアの得意な仕切り屋がいるものだが、みな文科系ばかりで、誰一人手を出そうとしないのだ。
 仕方なく私が、慣れない手付きで火を起こした。徐々に皆も手伝ってくれたが、当の彼は、もうちゃっかり金髪美人と並んで座り、嬉しそうにサンドイッチを食い、缶ビールを飲んでいるではないか。
 やはり坊っちゃんだから、自分は何もしないのである。
 その焼肉パーティで多くの人と出会う事が出来た。今も親交の深い、評論家の唐沢俊一氏もその一人であり、これは彼に感謝している。
 中に、大塚英志ご夫婦がいた。実に感じの良い人で、奥さんもマメに焼肉を焼いてくれていた。
話もいろいろして盛り上がり、私は後日、私の著作と世話になった礼状、その日の写真などを送った。が、礼状一つ返ってこなかったので以後の交友はない。
 このように、彼のパーティでは、多くの有名人と知り合い、のちのちまで親しく付き合う人と、そうでない人など、多く入り乱れて実に楽しい集まりだった。
このパーティのスナップは、後に雑誌「マーダーケースブック」にも掲載される事になる。
 その他、この年は彼がテレビの深夜ドラマにチョイ役で出演していたから、一緒にスタジオへ行ったり、私の心の師匠、「家畜人ヤプー」の沼正三氏代理人であるA先生を彼に引き合わせたりした。
 そして秋に、また早大で彼のトークがあって一緒に行ったが、彼が主催者と喧嘩したり、相も変わらず互いの家を行き来し、プールで泳いだりカラオケをしたりしていた。

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