様々なイベント

 この年、暮れまでは互いの家を多く往き来していた。カラオケに行き、私の行っているスポーツジムのプールで泳いだりもした。彼の得意なカラオケは「ゴンドラの唄」だが、いのち短し恋せよ乙女、と彼が唄うたび、短くしたのはお前じゃないか、と心の中でツッコミを入れてしまった。
 真夏の湘南の海へ行ったとき、彼は長袖と長ズボンに革靴だった。それでビーチチェアに寝そべるのは、なかなか異様なものがあった。
 また、彼の原稿を読まされたこともあった。しかも一杯やっていて、これから食事という時である。
「じゃ、お預かりして家で読んできますよ」
「いえ、飲みながらいま読んでほしいんです」
 うへえ、せっかく旨い酒を飲んでいるのに。彼はワープロが出来ないから、下手な手書きの原稿が二百数十枚である。しかも「リノリウムの床」のことを「アルミニウムの床」などと書いている。どこかの何かで読んだものを間違って覚えているのかもしれない。
 内容も、全く面白くない。ホラーポルノということらしいが、それ以前に小説の体を成していないし文章も下手だ。
(おっかしいなあ……)
 あの感動的な文章である「霧の中」と、本当に同じ人が書いたのだろうか、と私は首を傾げた(のち、彼の著作で「霧の中」のみ、リライトした人がいたという噂が流れたが)。
 それでも何とか読み、感想などを述べたが、酒も料理も味は判らなかった。もちろん全ての飲み食いは、常に私が払っているのだ。
 やがて十月十八日。芝浦のゴールドというディスコで、宅八郎氏の出版記念パーティが開催され、彼と一緒に行った。無名の私と違い、彼はゲストの一人だった。またゲストが凄いメンバー。彼の他、戸塚宏、なべやかん、大槻ケンヂ等々。私は、バルタン星人やカネゴンに会えて嬉しかった。その他、ビートたけしと麻原彰光もゲストだったのだが、この二人は来なかった。
 また十一月一日には、早大の学園祭に呼ばれ、フェティシズムのシンポジウムが行われた。この時のメンバーが、私と彼、作家の北原童夢氏と宅八郎氏の四人だった。
 さらに十二月二日には、新宿で佐川ワールドが開かれた。このとき彼は、中村屋で待ち合わせしたのに、歌舞伎町までタクシーで行こうと言いだしたのだ。
「歩いてすぐですよ」
「でも、カバンが重くて」
 結局、中村屋から駅まで戻ってタクシーに乗り、中村屋のすぐ先の会場まで行ったのである。金もないのに、すぐタクシーに乗りたがる。これが坊っちゃんの性質なのか、と私は次第に彼の常識を疑いはじめるようになった。
 そのイベントでは、ドクター中松がゲストだった。私は中松氏に、テレビが立体に見えるお菓子を貰った。
 その他、彼の母校である和光大学祭に行ったり、出版社の忘年会などにも出席した。

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