三枚の油絵

 平成三年(一九九一)三月四日。再びS氏、藤沢へ遊びに来る。
 そして二十二日には私が初めて彼の家を訪ねた。横浜市郊外にあるマンションの四階、2LDKで実に整頓されている(もちろん家賃は親が払っているのだが)。
 その時、私は彼に、油絵を売ってくれと申し出た。彼が何枚も絵を描いていることを知っていたので、一枚だけ手許に置いておきたかったのだ。
 彼は快く、二枚の絵を出して見せてくれた。どちらも3号の大きさで、女性のお尻がアップで描かれている。片方は皿に載ってナイフとフォークが添えられ、もう一枚はお尻の真ん中に唇が描かれたものだった。
 彼は二枚とも持っていって良いと言い、私は二枚で三十万の金を払った。
号あたり五万で、当時としては、まして素人の絵には破格である。私も、嬉しさのあまりつい奮発してしまったが、これが後にトラブルの元になるとは、その時の私は知る由もなかった。
 その夜は彼の誘いで、渋谷の、外人のいるSMクラブへ出向いた。当時から、あまり仕事のないところへ現金三十万が入って、彼は上機嫌だったようだ。
 外人SMクラブでの経緯は、対談を載せてくれたポルノ雑誌に、彼の了承を得て掲載した。私と彼の体験のほか、さらに私の下手なイラストも付けた。
 また私が忙しくなり、何ヵ月か会えない日々が続いた。
 すると、ある日の電話で、いま外人をモデルに絵を描いているのだが、モデル代が底をついて困っているので貸してくれないかと言う。私は、貸すのはあまり気が進まなかったが、借用書を書くとまで言うので、二十万振り込んでやった。
 次に彼の家に遊びに行ったのが六月。逢いたいというので行くと、十二号の絵が完成したばかりだと言って見せてくれた。
「睦月さんに差し上げるために、気持ちを込めて描きました」
「え? いやいや、私はもう二枚あるので要りませんが」
「そんなこと言わずに、睦月さんのために書いたのですから」
「だって、もう金も余裕ないし」
「分割でもいいですから、是非」
 あれあれ、おかしなことになったな、と私は思った。
 私は、別に絵の収集を趣味にしているわけではない。彼が描いたものだから、一枚持っていたいと思っただけだ。それを二枚持っているのだから、もう充分なのである。
 しかし彼は、私が最初に高く買ったものだから、すっかり自分の絵が金になると味をしめてしまったのだ。この、彼の坊っちゃん育ちの性格も、後に多くのトラブルを生む事になるのだった。
 十二号だから、前と同じ号あたり五万とすれば六十万。大金だ。もちろん彼は、モデル料の二十万については何も言ってこない。まあ、快く貸したのだから、借金の事については今は言うまい、と私は思った。
 問題は、絵の六十万だ。欲しくはない。何しろ前の絵と違い、単なる外人ヌードで、しかも出来が悪い。わざわざ高い金でモデルを雇って完成させるほどの絵ではないのだ。
 しかし私は、まだ彼との交友に酔いしれていたからトラブルは避けたかった。
 結局、後日一括払いで六十万振り込んだのである。
 この三枚の油絵は、後に私に災厄ばかりをもたらすこととなるのだった。

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