念願の会見

 平成二年(一九九〇)二月七日。渋谷の喫茶店マイアミで彼と落ち合った。
駅前では、麻原彰光のお面をかぶったオウム信者が選挙運動をしている日であった。
 小柄なスーツ姿の彼との初対面の印象は、物静かで実に真面目そうだった。
しかも欲も得もなく、やりたいことを成し遂げてしまい、あとは被害者の菩提を弔っている僧のような高潔さすら感じられた。
 私は、とにかく有名人に会えた嬉しさで胸がいっぱいになり、かなり緊張していた。
 対談は、フェティシズムとカニバリズムだが、私は自分の考えを述べるだけだったのに対し、彼はノートを持参し、様々な事件の事例などを引き合いに出した。私のような無名のポルノ作家との対談ですら、しっかりと準備していたことに私は感動した。
 やがて対談を終え、一緒に写真を撮るとき並んで立ったが、あらためて彼がかなり小柄である事に気がついた。カメラマンも、私の横で彼だけ何段か階段の上に立たせてツーショットにした。
 編集スタッフが帰ってからも、そのまま私たち二人だけ喫茶店に残り、夕方まで色々話をした。対談のテープがなくなると、次第に打ち解けて幼い頃の話や女の子の話などをした。
 彼が、私の家の近くである鎌倉高校出身という事も分かった。しかし彼は、高校時代はあまり好きではなかったらしく、思い出といえば、クラスの女の子のお弁当箱のお箸を、こっそり舐めたりした事ぐらいだと語り、フェチが専門の私は非常な親近感を覚えたものだった。「霧の中」の感想も、本人に語れるのは嬉しい事だった。
 さらに、その日から一週間後、私は彼に電話し、藤沢の自宅に招待した。
 二人でフェチの話をすると止まらないほど気が合い、合わせようとするのではなく自然な感じで趣味が合うのは実に嬉しい事であった。誰にも懐かないはずのうちの猫も、彼には平気ですり寄っていったりした。夜は焼肉バイキングの店に行き、人肉の味などについて語り合いながら心地好い酒に酔ったものだった。
 しかしその年。私は婚約したり、それが式の直前に破談になったりしてゴタゴタし、彼とはなかなか再会できず、しばらくは電話や手紙のやり取りだけが続いた。
 そして次に会ったのは暮れ。十二月十六日、両国の永谷ホールで彼のトークショーがあるというので、私は女流作家の藍川京さんと一緒に顔を出した。そこで、おたく評論家の宅八郎氏と知り合った。その日はトークショーそのものよりも、二次会の方がざっくばらんな飲み会で楽しかった。
 やがて彼とは翌年から、本格的な交友が開始されたのだった。

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