昭和六十二年五月三十日(土)、動物愛護会の女性から、生後一ヵ月の子猫が届けられた。私は三十一歳。
 その二年前に、私はこのマンションを購入。一人暮らしで3LDKは広すぎ、寂しいのでネコでも欲しいと、冗談混じりに言ったところ、飲み仲間であったその女性が真剣に念を押してきた。
 それほど子猫が多く、里親探しが大変らしいのだ。
 私も本気になり、雌で、とにかく見目麗しい茶トラか三毛を頼んでしまった。
 それが届いたのだ。名は、私が好きだった吾妻ひでお先生原作のアニメ、「おちゃ女神コロコロポロン」から、ポロンと命名。生後一ヵ月ぐらいということで、正式な誕生日が分からなかったので、昭和六十二年五月一日と決めた。
 ポロンは、茶トラとはいえ縞は淡く、脚と尻尾の先が白く、耳と目が大きい実に美人だった。
 最初は手のひらに載るぐらい小さく、尻尾も尖って鼠みたいだった。初対面から良く私に懐き、膝の上で良く眠った。私がトイレとか行き、僅かな時間離れてもミーミーと心細げに鳴き、離れられなくなってしまった。
 まだ小さくてベッドに上がれないので、畳に布団を敷いて一緒に寝た。
 食事は、水でふやかしたドライフードと缶詰。
 最初は、なかなか排泄をしなくて心配。そしてオシッコはあちこちにするのを懸命にしつけ、やがて大も小も決められたトイレでするようになった。
 私のトイレでさえ一つなのに、ポロンは大と小、各一つずつあった。オシッコはピンクのハート型の容器に固まる砂を。大の方は四角い容器に紙の砂利。
 ピンクといえば、食器も爪とぎも玩具も、運搬用の入れ物もみんなピンクで統一、彼女のラッキーカラーとした。
 もう私はポロンにメロメロだった。外出していても気になり、帰宅する足も早まった。
 小さな命を慈しみ、守ることがこんなにも切ないものとは思わなかった。一人で寂しいから飼ったのに、もっと寂しくなった。しかし、もう出会ってしまったのだ。出会う前には戻れなかった。
 やがて九月四日。愛護会の決まりで、ポロンは避妊手術をすることになり、昼前に連れていかれてしまった。
 たった一泊の入院だが、私は気が気でなく、久々に夜一人で寝ていても、心配で泣けて仕方がなかった。三十男が枕を濡らすなんて実に恥ずかしいが、ポロンのいない夜は何とも寂しくて、どうして良いか分からなかった。
 翌日の夕方、ポロンが帰ってきた。私を見てひと鳴きし、水を飲んでから黙々と食事した。おなかの毛が剃られ、絆創膏が貼られていた。
 愛護会の人に聞くと、いつもはここであんなにお転婆で暴れ回るポロンが、他のネコが多く居るところでは実に大人しく、可哀相なほど神妙にしていたと。どうやら私に似て内弁慶のようだ。
 これでポロンは多少大人しくなり、噛み癖だけは控えめになったのだった。
 ネコの習性は、実に面白かった。警戒するときの尻尾の振り方。機嫌が良いときゴロゴロ鳴る喉。威嚇するときの耳の形がウランちゃんに似ていたり、「フーッ」と言う声。驚いた時の毛の逆立ち方や連続横跳び。
 一緒に寝るときも、布団の中に入って、しばしグルグル回って寝やすい形を探し、やがて私の腕を枕に寄り掛かって小さく息を吐く。
ポロンの温もりは、何と甘く切なかったことか。

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